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私の実家は私が産まれる前に家を建てました。
そして、その時は祖父母・両親・兄。そしてその後私が産まれました。
しかし、祖父母は一旦、長男夫婦の家に行ったので、正式に同居が始
まったのは私が幼稚園に入るぐらいだったと思います。
その頃から、やはり祖母は長男夫婦が良く、次男の家は嫌だったよう
で、すごく意地悪な祖母でした。
一度、私は「お母さん私要らない子って言われたから、この家出てて
行く」と言ったら、「ここはあなたの家、あなたが出ていかなくていい
の」とも言われました。
それから何年も嫁・姑のいざこざは耐えませんでした。
そして、祖母は兄は好きだったようなのですが、私には冷たいものでし
た。よく怒られていて、近所に聞えていたので、良く近所の方が母に
「またおばあちゃんにいじめられてたよ」
と言ってくれてたそうです。
それが高校生ぐらいになると、エスカレート。
しかし、私も負けませんでした。
そのうえ、祖母が父には母に言った事と逆を伝えてました。
父は、仕事で知らないため、そのことで時に夫婦喧嘩。
祖母は一番言ってはいけない一言
母に対して「あんたの世話にはならん!!」
とも言いました。
それから月日が経ち、父が長年続けた仕事が腰に良くないので、辞め
て次の仕事を探しいてる間家にいたので、母と祖母の現状を分かったの
です。祖母が悪いと・・・・。
それからまもなく私は結婚して家を出ました。
そして、それから兄も彼女と同棲を家を出ました。
ある日、父と祖母が家にいた時、急に祖母が倒れました。
動揺してる父は母の会社に電話して、母が救急車を呼んだそうです。
すぐに輸血が必要となり、O型の血液を探しました。
私も主人や主人の兄弟や友人に声をかけ、
兄も友人に
そして父・母の友人そして近所の人と大勢の人が来てくれました。
祖母は、近所でもよく窓から覗くと煙たがられてました。
その時、看護婦さんが「こんな大勢の人が検査したらお金かかるので
もういいですよ。」
「たぶん足りますから・・・。」
と言ったのです。
その時母が「人一人の命がかかってるんです。お金なんて関係ありま
せん」
と叫びました。
あんなに毎日いびられて泣いて泣いて30年
その母に私は尊敬してしまいました。
私ならそんなこと言えただろうか?
とつくづく思いました。
結局、私の主人・義弟そして主人の友人の3人の血液により、祖母は
一命を取り留めました。
結局、寝たきりでしが、2年間の病院生活。
その間も、母は毎日のように仕事が終わると病院へ。
そして、祖母に話しかけてました。 意識のない祖母へ・・・。
息子の父はほとんど何もしてませんでした。
ある日、父・母・私と娘でお見舞いに行きました。
その時も母は話しかけてました。
「おばあちゃん。くみが来てくれたよ。おばあちゃんくみのおかげで
助かったんだよ」と私の事を言ってました。
すると寝たきりで目を開けるだけの祖母の目に涙が・・・・。
それは今でも忘れません。
そして2年前祖母は他界しました。
父も母も凄く泣いてました。
私は怒られたりしたイメージしかなく、はっきり言って涙は出ません
でした。
しかし、泣いてる母の姿を見て、今までの母の姿をみて 改めて母の
偉大さそして尊敬しました。
私もこんな風に出来るのかな?と思いました。
今、一児の母となり、つくづくいろいろと考える事も増えました。
私は、母のようになりたい。母のような母親になりたいと思います。
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